P.F.ドラッカー教授について

ピーター・F・ドラッカー(Peter F Drucker)

1909年11月19日ー2005年11月11日

ドラッカー=現代社会を読み解く最高の哲人

ドラッカー教授は、1909年、オーストリアのウィーンに生まれました。
ウィーンは、当時、世界屈指の大国の一つ、オーストリア=ハンガリー帝国の首都であり、そこにはマーラー、シュトラウスなどの作曲家、クリムト、シーレなどの画家、フロイトやアドラーなどの心理学者、シュンペータ(イノベーションを定義した経済学者)やメンデル(遺伝学の祖)、あるいはヴィトゲンシュタイン(言語哲学・分析哲学)など一流の文化人や学者を輩出する都市でした。ドラッカーも、高級官僚であった父親の影響で多くの文化人や学者などと接触していたと伝えられています。
おそらくは、この経験が、政治、行政、経済、経営、歴史、哲学、文学、美術、教育、自己実現など、多くの分野で造詣を深くし、『現代社会を読み解く最高の哲人』と称される起源になったと考えられます。
なお、その膨大な著作群は、「ドラッカー山脈」とも呼ばれていますが、その全てを読むことは大変だと思います。この[実マネ]読書会では、マネジメントの体系に従ってピックアップした読書範囲を設定しているのは、ここに理由があります。

ドラッカー=社会生態学者

1918年、第一次世界大戦に敗戦したオーストリアは小国の一つになってしまいました。しかも、長く続いた戦争によって、働き手であり社会の担い手でもあった成人男性が激減した社会は、人と人との信頼と絆が失われた機能不全に陥っていたのです。当時、ヨーロッパ全体が同様の状態で、その反動として誕生したのがヒトラーの政権でした。当時、新聞記者をしていたドラッカーは、「ヒトラーの台頭」やその後の「独ソの結託」を予見し、警告を呼びかけましたが、当時はほとんどの人がそれを信じませんでした。(余談になりますが、後に英国首相となったチャーチルは、これを絶賛しています。)
こうした混乱した社会を見つめ続けた経験が、「どうすれば機能する社会が形成されるか」を生涯の研究テーマとした起源でしょう。

ドラッカー=マネジメントの父

ナチスドイツから逃げるように、英国に渡り、そして渡米したドラッカーは、ヨーロッパとは全く異る、機能している明るい社会を目の当たりにします。そして、米国社会を観察し、機能する社会を形成するためには、「組織」というものが果たす役割とその組織がどのように「マネジメント」されるかが鍵となるという仮説を立てました。働く人も、サービスを受けるお客さまも、一人一人の人間が幸せになるための、その結果、豊かな社会が形成されるための、マネジメント。それがドラッカーの研究対象となったのです。
そして、その研究の結果、それまでは個別の方法論や成功体験の集合に過ぎなかった経営論から、マネジメントの『原理原則』を抽出して、場面に応じて活用できるよう『体系化』し、今も世界中で大ベストセラーとなっている[現代の経営]を著しました。
これにより、ドラッカーは「マネジメントの父」と称されるようになりました。

ドラッカー=コンセプト・メーカー

その後、時代と社会の傍観者として「東西冷戦の終結」や「知識社会の到来」をいち早く知らせるとともに、経営コンサルタントとして活躍したドラッカー教授は、多くのマネジメントのコンセプトを「発明」します。
《選択と集中》《ベンチマーキング》《コアコンピタンス》《分権化》《目標管理》《民営化》《活動基準原価計算》など、多くの企業で活用されるマネジメント・コンセプトの多くは、ドラッカー教授が起源なのです。とあるドラッカー・ファンになった方の言葉が、それを如実に表しています。「いろんな経営書を読んで、その起源を探っていったらみんなドラッカーに行き着いてしまうんだよね。だから、オリジナルに当たることから始めたいと思って・・。」
ドラッカー教授の名を知らなくとも、いまでも多くの方がその「コンセプト」を利用し、仕事に役立てています。

ドラッカー=人を行動に駆り立てる文筆家

ドラッカー教授は晩年、「私の本はみな人を動かして行為をさせようとしている」と語りました。そして、自身を学者ではなく、文筆家だといいました。
[実マネ]読書会でも、その言葉に触れたとき、つまり、その意味に気づいたとき・・・多くの方が「目から鱗が落ちた」「頭を殴られたような感じがした」と語り、考え方や行動を改めます。そんな人を駆り立てるエネルギーのある言葉がドラッカー教授の著作には現れています。

おまけ:ドラッカー=親日家

ドラッカー教授は、大変な親日家だったそうです。
日本の古美術については、世界有数のコレクターであり、大学で教鞭も執っていたそうです。
その起源は、戦後まだ間もない時期の来日体験にありそうです。その来日で、親交ができたのは、ソニー創業者の盛田昭夫、パナソニック創業者の松下幸之助、ダイエー創業者の中内功など、高度成長期の日本を作り上げた錚々たる面々。
米国に追いつき追い越せ!を合言葉にした日本では、多くの企業がマネジメントを学ぼうとし、ドラッカーを学んだのです。
ドラッカー自身も、勤勉で信用を大切にする日本の文化と経営をとても好ましく思い、これからの世界を幸福な社会に導く担い手として日本に多大な期待を寄せていたようです。実は、世界で最もドラッカーを読み、実践している優等生もまた日本だったからです。

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